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2020年11月15日日曜日

うつ病の発症4回目 5 うつ病急性期 2

 これまでと違ううつ病という感覚は、自分にとっては大きな戸惑いでした。これまでであれば、趣味の本を見る、写真を撮るという行為はうつ病の症状を和らげてくれるものでしたが、今回に限っては、趣味の本を見ることもつらく、カメラを触れない期間が2か月も続きました。

恐らく、うつ病の急性期自体は8月中旬から9月中旬の1か月ほどだったと思うのですが、この間、朝起きてもそわそわして何もできない、朝食のパンを焼くのもおっくう、昼食や夕食の献立を考えようにも頭がまとまらない、暑い中買い物に行くのも面倒くさい、という日々でした。

タイミング悪く、妻が手術を受けた後で体をほとんど動かすことができず、どうであれ、自分が炊事、洗濯、掃除などの家事一切をやらなければなりませんでした。

話が前後しますが、うつ病の悪化で、結局心療内科の担当医と相談し、8月末から1か月間休職をすることにしました。うつ病で休職をされたことのない方のため、少し参考までに触れておきますと、担当の医師(精神科であれ、心療内科であれ)に診断書を書いてもらい、休職願を添えて、それをそのまま総務や人事の担当部署の責任者に郵送します。

ここで、マジメに、診断書を職場に届け、説明しようなどとは思わない方が良いと思います。一部上場企業であれば産業医や保健師がいて、対応してくれる可能性がありますが、日本の企業の精神疾患に対する対応は大きく遅れています。普通は、総務や人事の担当者から、診断書受領の連絡があり、その間どのような対応をするのか、例えば、週1回報告の電話を入れる等、メールなり電話なりで指示が追って伝えられるはずです。


2020年11月14日土曜日

うつ病の発症4回目 4 うつ病急性期 1

 心療内科に早めにかかり、抗うつ薬のサインバルタを一日2錠、抗不安剤のデパスを一日2錠に増やしても、睡眠導入剤のユーロジンの効果で眠れるようになっただけで、憂鬱な気分が回復することはなく、一日中足に重しをつけられたように、体がだるい日が続きました。

今にして思えば、うつ病急性期の始まりで、

① ほぼ一日中憂鬱である

② そわそわして落ち着かない

③ 気持ちがぐらつき、不安定な感覚がある

④ 耳鳴りがする

⑤ 肩、腰、胸等に強い凝りを感じ、内蔵が冷えている感覚がある

⑥ 食欲がない

⑦ 趣味や娯楽に興味が持てなくなる

⑧ 仕事でケアレスミスが増える

⑨ 物事に対し、過剰にネガティブ思考になる

⑩ 理解力が低下する

⑪ 人と話をするのが辛い

などの、うつの症状がこの時には出ていました。

4回目のうつ病がそれまで3回と明確に違ったのは、うつ病の主たる原因が新型コロナウィルス(COVID-19)の広がりによる不安だったことです。

うつ病はうつ病の原因を解決する、あるいは、うつ病の原因のもとから離れる、取り去るなどすれば、かなりの確率でうつ抜けできます。

しかし、新型の感染症に対する解決策などなく、また、世界中どこへ行っても大差のない状況で、かつ海外に出ることすらままならない状況の上、記録的な日照不足の7月と、酷暑の8月のおかげで、うつ病が悪化し、とうとう職場に通うのもこんなんな状況になってきました。


2020年11月12日木曜日

うつ病の発症4回目 3:うつ病の兆候

 うつ病の兆候は、思考がネガティブになったところから現れました。アベノマスク、全国民への一律10万円の給付等、場当たり的な政府のCOVID-19対応には頭に来るものがあり、始終怒りを感じていました。

それが、7月に入る頃から、段々諦めと厭世観が出てきて、変わらないCOVID-19への政府、行政へのつたない対応に嫌気がさし、ニュースを見たり、新聞を読むのが嫌になってきました。

決定的に一段エレベーターが落ちたな、と感じたのは、期待していた夏のCOVID-19の鎮静化がなくなったことによる、業務での年度内の海外出張がなくなったことでした。

私は25歳頃から、海外暮らしを合計6年、海外出張を年間50-70日のペースで過ごす生活を続けてきており、国内でたまったストレスを海外で発散することで、心のバランスを保ってきていました。

「今年の海外出張はなくなったよ」。同僚の言葉は、私のうつ病の発症の大きな一つの要因になりました。

こうして、8月15日頃からうつ病の急性期に入り、有給休暇を使って、週に2日程度休むことが増え、ついに8月25日から、人生初のうつ病による休職に突入してしまいました😥😥。

2020年11月11日水曜日

うつ病の発症4回目 2

 4回目のうつ病の発症は突然訪れました。

3回目のうつ病発症時と同様、うつ病の兆候を感じたため、二日に1錠服薬していた抗うつ薬のサインバルタを毎日服薬し、デパスも同様に毎日服薬に変更し、担当医に連絡して心療内科の診察を10日間早めました。

担当医には、不安な感覚があること、そわそわと落ち着かないこと等を伝え、うつの兆候が出ていることから抗うつ薬、抗不安剤の増量を頼みました。医師の対応は素早く、抗うつ薬のサインバルタを2錠、抗不安剤のデパスを2錠、またユーロジンを1錠処方してくれました。

でも、時すでに遅しでした。ここからうつ病の急性期が始まり、8月中旬には職場から帰宅した後は全く身動きが取れなくなるほど落ち込みました。うつ病の急性期を言葉で表現するのは難しいですし、人それぞれ異なった印象を持つようですが、台風の大雨の中にさらされているようだという人もいますし、私はいつも壊れたエレベーターに乗っているような急速に落ちていく感覚があります。

うつ病再発の原因は何だったのでしょう?

今でも自分で特定の要因を探すことはできません。うつ病にはストレスが起因していることが大きいと言われますが、当時、ストレサーとなっていたものとしては、

1) COVID-19の中での通勤:非常事態宣言下でも週3回は通勤していました。
2) 妻の入院:COVID-19の影響もあり、面会はかなわず、週2回、必要なものを持って行き、持って帰るだけの日々が2か月続きました。
3) 職場の業務内容の大幅な変更:出張がなくなり、ただパソコンの前に座り、いつ再開できるかわからない研修プログラムについて、各国の関係者、講師とメールやZoomでやり取りする毎日でした。
4) 7月の記録的な日照不足と、8月の猛暑:特に、梅雨明け後のマスク着用での出勤は苦痛以外の何物でもありませんでした。



うつ病の発症4回目 1

 3回目のうつ病が寛解しようとしていた今年の春、世界は新型コロナウィルス(以下、COVID-19)によって、大きな影響を受けました。

私自身、3月頃までは気楽に過ごしていて、3月上旬にインドネシアへ出張に行ったりもしました。

旗色が急激に変わってきたのは、3月中旬以降です。私の仕事は、海外の提携大学へ講師を派遣し、研修プログラムの実施を見守る仕事だったのですが、COVID-19の影響により、そもそも海外へ出張へ行くことができなくなりました。組んでいたスケジュールをキャンセルする手続きに追われ、相手先と延期にするのか、中止にするのかの打ち合わせをメールやZoomでやり取りする仕事が続き、知らず知らずのうちにストレスをためていたようです。

うつ病の予防の観点からすると、普段と違う自分に自分で気づくことが必要であり、それができないなら、家族など身の回りの人からうつ病の兆候を指摘してもらうことが大事なのですが、妻が5月から2か月入院しており、自宅と職場を往復するだけの日々で、毎日COVID-19への政府や行政の対応に疑問や憤りを感じていたり、不可避の条件下で不幸にも帰国した友人、知人を支援するのに奔走し、自分が疲弊し始めていることに気が付きませんでした。

うつ病の治療 抗うつ薬・抗不安剤とその薬効 抗不安剤とは

 抗うつ薬と共に、心療内科や精神科で多く出される薬が抗不安剤です。抗不安薬、精神安定剤という言葉も用いられ、むしろその方が馴染みが深いかもしれません。 抗不安剤は、不安・緊張・恐怖・焦燥などを抑えるため、内科や外科などでも処方されていますが、精神科・心療内科では、セロトニン系抗う...