ラベル 急性期 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 急性期 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2020年12月1日火曜日

うつ病の対策 うつ病中にやってみたこと 1

 うつ病はとかく苦しい病気です。4度も経験すれば、慣れるかって?単に学習能力がないのか、4度目でもやはり、死ぬほどしんどい思いをしました。

ということで、うつ病中にこれまでやってみたことを書いてみます。

1. 急性期

なにもできません。うつ病の急性期は、一日中頭の中をぐるぐる回るこの世の終わりのような思いで身動きがほとんど取れません。食欲もなく、便秘にもなり、睡眠不足にもなります。テレビ、特にニュースやバラエティがうるさく感じ、横になって転がっているだけでした。

肩、腰、首、胸等、あちこちの凝りがひどくなり、呼吸も浅くなりました。さすがにこれではまずいと思い、ラジオ体操をやってみたり、ヨガをやってみました。急性期の後半はほとんどこの二つをこなすのと、入浴時間を長めにするのを心掛けてやってみました。効果があったかどうか、正直定かではありません。

2. 回復期

明るく考えることはできないものの、思考は復活してきたので、映画やドラマを見ることができるようになりました。この時期はただひたすら、ドラマ、ドキュメンタリー、映画、漫画をU-NEXTで見まくっていました。また、少し涼しくなってきてから、散歩に出かけるようにしました。とはいうものの、やはり頭の中では良いことは考えられず、散歩をしても楽しめなかったのを覚えています。

以下は、やってみて、NGだったものです。

1) 塗り絵:地道にやるのはどうも性に合わないらしく、40色くらいの色鉛筆を買ったのに、結局無駄に終わりました。

2) 運動:ある精神学者が、「抗うつ薬を飲むのと、30分程度の運動は同程度の効果がある」と言っていますが、運動が好きかどうかで、無理にやる必要はないのではないかなぁと個人的には思っています。私は運動嫌いなので、せいぜい散歩をしていましたが、それでも、脳裏をよぎるのは良くないことばかりで、むしろ歩きながら、拷問を受けているようでした。ただ、うつ病回復期の後半になってからは、積極的に散歩に出るようにしました。体力回復には明らかに有効ですので。

3) 瞑想・マインドフルネス:これも、そこそこ精神状態の安定しているときには有効ですが、急性期で頭の中が嵐の状態にあるときには、とても瞑想なぞできたものではありませんでした。

2020年11月16日月曜日

うつ病の発症4回目 6 うつ病で休職中にしていたこと 1

 ということで、8月25日から9月末までうつ病のため、休職に入りました。

休職とは言っても、残暑厳しい8月末から9月上旬にかけては、ただエアコンをつけて、用事のない限り、家の中にこもっていました。もともと家にいるより外に出かける方が好きなのですが、なにもできず、文字通り、家でゴロゴロして毎日を過ごしていました。

ただ、なにも考えずにゴロゴロできれば良いのですが、何かしていないと、憂鬱なことが思い浮かんだり、果ては希死念慮まで出てきたりで、ゴロゴロ唸って苦しんでいるというのが実情でした。

この頃は、テレビの映画やアニメに刺激の強さを感じていたので、限られたものしか見られず、必然的にすぐに見られるものがなくなってしまい、YouTubeでうつ病体験者の動画を眺める機会が増えました。

「うつ病」+なにか別のキーワードで検索すると、結構上位にこれらの動画がランクされるのですが、私は「ほっしー」という方の動画をみることが多かったです。割と軽めのノリで見やすい動画にしてあるということもあったのですが、運動嫌い、スピリチュアル嫌いの自分には、割と共感を持てました。

もう一つ、樺沢紫苑という精神科医の動画も何度か見ましたが、「運動すればなおる」等、比較的突き放すような動画が多く、また、やや上から目線の口調が耳に触り、「そりゃ、アンタはそれで金儲けしてるんやし、自分がうつ病患ったわけじゃないから何とでもいえるよなぁ」と反感を感じることの方が多かったです。

2020年11月15日日曜日

うつ病の発症4回目 5 うつ病急性期 2

 これまでと違ううつ病という感覚は、自分にとっては大きな戸惑いでした。これまでであれば、趣味の本を見る、写真を撮るという行為はうつ病の症状を和らげてくれるものでしたが、今回に限っては、趣味の本を見ることもつらく、カメラを触れない期間が2か月も続きました。

恐らく、うつ病の急性期自体は8月中旬から9月中旬の1か月ほどだったと思うのですが、この間、朝起きてもそわそわして何もできない、朝食のパンを焼くのもおっくう、昼食や夕食の献立を考えようにも頭がまとまらない、暑い中買い物に行くのも面倒くさい、という日々でした。

タイミング悪く、妻が手術を受けた後で体をほとんど動かすことができず、どうであれ、自分が炊事、洗濯、掃除などの家事一切をやらなければなりませんでした。

話が前後しますが、うつ病の悪化で、結局心療内科の担当医と相談し、8月末から1か月間休職をすることにしました。うつ病で休職をされたことのない方のため、少し参考までに触れておきますと、担当の医師(精神科であれ、心療内科であれ)に診断書を書いてもらい、休職願を添えて、それをそのまま総務や人事の担当部署の責任者に郵送します。

ここで、マジメに、診断書を職場に届け、説明しようなどとは思わない方が良いと思います。一部上場企業であれば産業医や保健師がいて、対応してくれる可能性がありますが、日本の企業の精神疾患に対する対応は大きく遅れています。普通は、総務や人事の担当者から、診断書受領の連絡があり、その間どのような対応をするのか、例えば、週1回報告の電話を入れる等、メールなり電話なりで指示が追って伝えられるはずです。


2020年11月12日木曜日

うつ病の発症4回目 3:うつ病の兆候

 うつ病の兆候は、思考がネガティブになったところから現れました。アベノマスク、全国民への一律10万円の給付等、場当たり的な政府のCOVID-19対応には頭に来るものがあり、始終怒りを感じていました。

それが、7月に入る頃から、段々諦めと厭世観が出てきて、変わらないCOVID-19への政府、行政へのつたない対応に嫌気がさし、ニュースを見たり、新聞を読むのが嫌になってきました。

決定的に一段エレベーターが落ちたな、と感じたのは、期待していた夏のCOVID-19の鎮静化がなくなったことによる、業務での年度内の海外出張がなくなったことでした。

私は25歳頃から、海外暮らしを合計6年、海外出張を年間50-70日のペースで過ごす生活を続けてきており、国内でたまったストレスを海外で発散することで、心のバランスを保ってきていました。

「今年の海外出張はなくなったよ」。同僚の言葉は、私のうつ病の発症の大きな一つの要因になりました。

こうして、8月15日頃からうつ病の急性期に入り、有給休暇を使って、週に2日程度休むことが増え、ついに8月25日から、人生初のうつ病による休職に突入してしまいました😥😥。

2020年11月11日水曜日

うつ病の発症4回目 2

 4回目のうつ病の発症は突然訪れました。

3回目のうつ病発症時と同様、うつ病の兆候を感じたため、二日に1錠服薬していた抗うつ薬のサインバルタを毎日服薬し、デパスも同様に毎日服薬に変更し、担当医に連絡して心療内科の診察を10日間早めました。

担当医には、不安な感覚があること、そわそわと落ち着かないこと等を伝え、うつの兆候が出ていることから抗うつ薬、抗不安剤の増量を頼みました。医師の対応は素早く、抗うつ薬のサインバルタを2錠、抗不安剤のデパスを2錠、またユーロジンを1錠処方してくれました。

でも、時すでに遅しでした。ここからうつ病の急性期が始まり、8月中旬には職場から帰宅した後は全く身動きが取れなくなるほど落ち込みました。うつ病の急性期を言葉で表現するのは難しいですし、人それぞれ異なった印象を持つようですが、台風の大雨の中にさらされているようだという人もいますし、私はいつも壊れたエレベーターに乗っているような急速に落ちていく感覚があります。

うつ病再発の原因は何だったのでしょう?

今でも自分で特定の要因を探すことはできません。うつ病にはストレスが起因していることが大きいと言われますが、当時、ストレサーとなっていたものとしては、

1) COVID-19の中での通勤:非常事態宣言下でも週3回は通勤していました。
2) 妻の入院:COVID-19の影響もあり、面会はかなわず、週2回、必要なものを持って行き、持って帰るだけの日々が2か月続きました。
3) 職場の業務内容の大幅な変更:出張がなくなり、ただパソコンの前に座り、いつ再開できるかわからない研修プログラムについて、各国の関係者、講師とメールやZoomでやり取りする毎日でした。
4) 7月の記録的な日照不足と、8月の猛暑:特に、梅雨明け後のマスク着用での出勤は苦痛以外の何物でもありませんでした。



2020年11月8日日曜日

うつ病 の発症3回目 1

 2018年に薬が完全に抜けてから、うつ病とは無縁の生活を一年以上送っていました。

ただ、自分にとってうつ病発症の原因を作った上司に対する印象は悪くなり、上司との折り合いが悪くなったこともあって、2018年いっぱいで12年近く務めた職場を退職することになりました。

2019年から務めた職場は前職より給与も良く、新しい領域の仕事でもあり、張り切っていたのですが、新しく作られた職場なのに、職場を作り上げた人たちが古い体質の人たちであり、さらに霞ヶ関の意向を強く受ける職場ということもあって、朝令暮改は日常茶飯事、議題を決めずに行う2時間、3時間のミーティング、失敗は部下になすりつけ、おまけに懲罰規程まで作る始末。昼食は一時間きっちりで帰ってこないと「アイツは昼サボっている」と言われるような環境で、次第に職場の居心地が悪くなっていきました。

前の職場で抱えていた仕事があったため、その仕事を処理するため、週4日新しい職場に勤務することを総務部長と合意していたのですが、上司の事業部長は勝手にフルタイムで来るものと誤解していたらしく、それが気に入らないのか、「フルタイムで来ない人には、仕事を任せられない」とパワハラめいたことをやりだすようになりました。

6月下旬には職場に行くのが嫌になり、上司への嫌悪感を感じるようになったので、通っていた心療内科に抗うつ薬を再度出してもらうようにお願いし、サインバルタ1錠、デパス1錠、ユーロジン1錠をだしてもらったのですが、時すでに遅く、7月に入った頃には3回目のうつ病にかかっていました。

前2回よりもうつ病の原因がはっきりしており、職場環境の悪さであり、そのため、金曜日になると気分が明るくなる一方、日曜日にはずんと気が沈むような日が続きました。

2020年11月6日金曜日

うつ病の発症2回目 3 心療内科による治療 2

 私のうつ病の薬物療法は、2週間に心療内科に行き、10分程度の医師の診察を受け、処方箋でサインバルタ、デパス、ユーロジンをもらって帰る日々でした。

通常、うつ病の急性期は気持ちがぐらぐらと揺れたり、意味もなく泣いたり、逆にそわそわ、いらいらしたり、不眠症になったりし、そのうち死体のように体を動かせなくなるものですが、うつ病の回復期はこれらの症状が治まる代わりに、ただフラットに憂鬱な日々が続きます。

うつ病の急性期はもちろん辛いのですが、私にとっては、毎回、このうつ病の回復期の方が辛く感じます。言葉では回復期と言いますが、本当にゆっくりと回復していくため、自分では回復している実感はありません。

うつ病患者の場合、通常朝が一番つらく、副交感神経に切り替わる夜は体調も気分も良いものです。「明日もこの気分が持続して欲しい!」と毎日願うのですが、現実は残酷で、朝はただ辛い気持ちで目が覚めます。

7月下旬に入った頃、心療内科の主治医の先生から、「これだけ変わらないと、後は何をすればよいだろうねぇ」というようなことを言われ、絶望的な気持ちになったのを覚えています。

うつ病の治療は、ただ毎日薬を飲むだけで、気長にやるしかないんですが、短気な私にはかなり苦しいものでした。

うつ病の治療 抗うつ薬・抗不安剤とその薬効 抗不安剤とは

 抗うつ薬と共に、心療内科や精神科で多く出される薬が抗不安剤です。抗不安薬、精神安定剤という言葉も用いられ、むしろその方が馴染みが深いかもしれません。 抗不安剤は、不安・緊張・恐怖・焦燥などを抑えるため、内科や外科などでも処方されていますが、精神科・心療内科では、セロトニン系抗う...