2020年11月7日土曜日

うつ病の発症2回目 4 心療内科による治療 3

 うつ病の回復期のトンネルは、ある日突然抜けます。

今まで4回の経験はいずれもそうで、前日までしんどかったのに、急に夜が明けたようです。

2016年の8月、海外から研修に来る人の世話を行わなければならず、うつ病を抱えたまま、2泊3日の研修に同行しました。その研修先で見たもの、体験したことが自分にとって新鮮で、また研修に来ていた海外の人たちが明るく、その人たちと過ごしているだけで、一日でうつ病を忘れてしまいました。

結局その日を境にうつ抜けし、サインバルタ、デパス、ユーロジンの投薬は続けてもらったものの、うつが再発することはなく、約1年半かかって、最終的には各薬をすべて抜くことができました。

長年通った処方箋薬局のおばちゃんに、「おめでとうございます」と言われたのが妙にうれしかったのを覚えています。

心療内科は内科も併設していたので、生活習慣病の薬をもらいに、月に1回の通院はその後も続けていましたが、今考えると、主治医はうつ病の再発がないかどうか、寛解したのかどうかを確認していたのかもしれません。

2020年11月6日金曜日

うつ病の発症2回目 3 心療内科による治療 2

 私のうつ病の薬物療法は、2週間に心療内科に行き、10分程度の医師の診察を受け、処方箋でサインバルタ、デパス、ユーロジンをもらって帰る日々でした。

通常、うつ病の急性期は気持ちがぐらぐらと揺れたり、意味もなく泣いたり、逆にそわそわ、いらいらしたり、不眠症になったりし、そのうち死体のように体を動かせなくなるものですが、うつ病の回復期はこれらの症状が治まる代わりに、ただフラットに憂鬱な日々が続きます。

うつ病の急性期はもちろん辛いのですが、私にとっては、毎回、このうつ病の回復期の方が辛く感じます。言葉では回復期と言いますが、本当にゆっくりと回復していくため、自分では回復している実感はありません。

うつ病患者の場合、通常朝が一番つらく、副交感神経に切り替わる夜は体調も気分も良いものです。「明日もこの気分が持続して欲しい!」と毎日願うのですが、現実は残酷で、朝はただ辛い気持ちで目が覚めます。

7月下旬に入った頃、心療内科の主治医の先生から、「これだけ変わらないと、後は何をすればよいだろうねぇ」というようなことを言われ、絶望的な気持ちになったのを覚えています。

うつ病の治療は、ただ毎日薬を飲むだけで、気長にやるしかないんですが、短気な私にはかなり苦しいものでした。

2020年11月5日木曜日

うつ病の発症2回目 2 心療内科による薬物療法 2

 うつ病治療の主流は薬物療法です。

心療内科、精神科、ひょっとすると内科へ通っていらっしゃる方もいるかもしれませんね。

私はこれまでずっと心療内科に通ってきました。うつ病には、急性期、回復期、そして改善へと向かっていきます。

うつ病は風邪などのように、薬を飲んで2、3日で回復する病気ではありません。残念ながら、どれだけ短くても2-3か月、長い方の場合、年単位でうつ病と闘病されています。

私の2回目のうつ病は5月から投薬が始まりました。最初に投薬してもらったのは、抗うつ剤のサインバルタ1錠、抗不安剤のデパス1日3錠、睡眠導入剤のユーロジン1錠だったと記憶しています。

うつ病に効果を示すのは抗うつ薬ですが、いきなり抗うつ薬を2錠も3錠も投薬することはないそうです。患者のうつ病に果たして抗うつ薬が合っているのかどうかを1週間単位で様子を見ながら、症状の重さに合わせ、投薬量を増やしていくということをしていきます。

私の場合、最大サインバルタ2錠、デパス3錠、ユーロジン1錠が2回目のうつ病時の投薬量でした。この治療が7月まで続くことになります。

先にも触れましたが、残念ながら、抗うつ薬が効果を発揮するのは、一週間、二週間経ってからです。従って、すでにうつ病が急性期に入っている場合はその間ずっとうつ病の諸症状に苦しめられることになります。

この時、私は休職せず、うつ病であることを職場に明らかにせずに通い続けましたので、毎朝が地獄のようでした。

2020年11月4日水曜日

うつ病の発症2回目 2 心療内科による薬物療法 1

 うつ病の発症は、眠れないことから始まりました。夜寝室に行っても、夜中の2時くらいに目が覚めてしまい、その後は目がさえて眠れないのです。

毎日11時までに寝室に入るのですが、2時、3時、時には1時半に目が覚めてしまいます。睡眠障害はうつ病の初期症状の一つなのだそうですが、他に中途覚醒する人や、不眠という人もいるようで、症状は人によって異なるようです。

早期覚醒が続くと、焦りが募るようになり、一週間もしないうちに、頭の中にもやがかかったように、どんよりとした気持ちになるようになりました。また、物事に対し、悲観的になり、周囲が自分を避けている、あるいは、嫌っているような妄想を抱くようになり、今までは職場の同僚をランチを食べに行っていたのを一人でいくようになりました。

この時点ですでにうつ病を発症していたのだと思います。朝目が覚めるとただ憂鬱で、なにもやる気が起きない、日によっては死にたいとすら思う中、ムリヤリ服を着替え、通勤電車に揺られ、職場に通っていました。

心療内科へ行くように勧めてくれたのは妻でした。妻が勧める心療内科は完全予約制のため、電話をして予約が取れたのは、なんと3週間後😱😱😱

放置しておくとうつ病の症状がひどくなるので、やむなく、横浜市内にある別の心療内科に最初に行きました。待合室で待たされた時間が1時間半。ただただ、待つのが辛かった(うつ病になると、私は時間が長く感じるようになるようです)覚えがあります。

2020年11月3日火曜日

うつ病の発症2回目 1 うつ病の兆候

 うつ病を初めて発症した2006年から、10年もの間、うつ病を発症することなく過ぎていきました。

うつ病の2回目の発症は、2016年の4月下旬でした。うつ病発症のきっかけはささいなことで、海外駐在していた部下が、同じ国に住んでいる日本人の妬みを買い、私たちが事業を行っている組織に密告をしてきたことに対し、その本部の監査部署から呼び出しを食らったことでした。

私自身、このことそのものがうつ病の発症になったとは思っていません。うつ病は、複数のストレス要因が重なり、発症することが多いようで、上に言及したことは、ただの引き金にすぎないと思っています。

私は前年の2015年、多くの担当プロジェクトを抱え、年間70日以上海外を飛び回るスケジュールをこなしていました。これだけでも十分ストレスフルで、うつ病発症のきっかけになりそうですが、それに加え、上司の指示もあり、ある霞ヶ関の公示案件を受注することになりました。

案件の主担当を担うにあたり、上司に、「必ず英語のできる部下1名、ロジのできる部下1名を配置してください」とお願いし、上司がそれを守るということで、事業の担当を引き受けました。

ところが、ふたを開けてみたら、霞ヶ関は仕様書(契約書の業務指示書のようなものです)とは異なる内容を押し付けてくるし、海外10か国以上から関係者を招待するのに開催地は国際線の飛んでいない沖縄のある島で会場を確保しているので、そこでやるようにとの指示。

ホテルも霞ヶ関側でおさえてあるからそちらを使うように、とのことなので、下見に行ってみると、夏休みにサーファーが泊まりに来るような低コストの、ホテルとは名ばかりのゲストハウスのような施設で、ビジネスセンターはおろか、コピー機が1台あるのみ😱😱。

おまけに、イスラム教圏からの出席者が半数を超えるのに、開催地は豚をよく食べる地方で、ハラルミールなんてありえないような土地柄。現地の下見で、めまいがしました😵😵。

輪をかけてストレスになったのが、上司が配置した部下でした。一人は英語力、ロジ能力が高く、彼女には旅行会社と招へい者の間のやり取りをまかせられたのですが、残りの人員が・・・。一人は指示待ち族で、指示がないと全く動けない人、もう一人は急きょ雇われた大学生。実質どちらも戦力にもなりませんでした😭😭

毎日夜の9時、10時まで仕事をし、休日も海外とのやり取りをする日々が2か月以上続き、その間に海外出張を2本こなしました。タイの空港の乗り継ぎカウンターで、なんで霞ヶ関からの書類に目を通しているんだろうと、疑問を感じたものです。

この時点でうつ病は発症していませんでしたが、まともな人員配置を行わなかった上司に対する怒りといら立ち、理不尽を押し付けてくる霞ヶ関に対する憤りは蓄積され、蕁麻疹が出るくらい、霞ヶ関の担当者の顔も見るのが嫌になっていました。

事業はなんとか4月には終了しましたが、私の精神状態はすでに限界だったようです。こうして、☝に上げた些細なことでうつ病を発症してしまいました。

うつ病1回目の発症3 急性期から一気に回復期へ

 納得しないまま、親の会社で働いていたところ、以前にお世話になった方から、自分の海外での経験が活かせるポジションが空くのだが、興味がないか?と打診を戴きました。

自分には、願ってもない職種、ポジションであり、二つ返事で引き受けることを回答しました。自分のうつ病が一気に快方に向かったのはこの出来事があったからで、人生後ろ向きにしか考えられていなかったのが、その仕事につくための心構えをほんの数週間で整えてしまいました。

うつ病で判断できない中でのことであったとは言え、父や、父の会社には本当に不義理をしてしまいましたし、海外から日本へ帰ってきて、また1年も経たぬうちに引っ越すことで、妻にもかなり叱られました。

しかし、周り中に不義理を尽くしたこの転職が、結局うつ病の寛解につながりました。本当に不思議なもので、転職してからは、全くうつ病の症状は出ず、引っ越し先では心療内科にも精神科にも通うこともやめてしまいました。

なお、本来は抗うつ薬や抗不安剤を少しずつ抜いていく過程が必要であり、私がこの時にやったように、一気にうつ病の薬物療法をやめてしまうのは危険なことなのだそうです。

こうして、晴れて初回のうつ病は寛解したのですが、うつ病発症のきっかけは海外生活での過酷な就職活動と短期間での引っ越しの繰り返しであり、うつ病寛解のきっかけはやりがいのある仕事につけたことだったと考えています。

2020年11月2日月曜日

うつ病の発症1回目 2

 うつ病を発症したまま帰国してからの日々は、自分には地獄のようでした。

実家の近所の心療内科に通いつつ、親の言われるまま、親の経営する会社に毎日通いました。

母親からすれば、「良かれ」と思ってやってくれたことなのでしょうが、「うつ病の時に大きな決断をしてはいけない」という原則からすると、うつ病急性期で判断能力のなかった自分を親の会社に放り込んだのは、跡取りとして期待していた父にとっても、本音では全く親の会社を継ぐ気がなかった自分にとっても、不幸なことでした。

当時は、うつ病の症状のため、毎朝ただ気が重い、肩や腰が凝ってだるい、人生が終わったような気持ちで、父の会社の工場で事務仕事をやりつつも、むりやり笑顔を作り、定時になったら帰宅するの繰り返しでした。

うつ病にかかったことのある人なら一度は訪れたことがあるのは、心療内科か精神科ではないでしょうか。私は当時心療内科に通っていましたが、抗うつ薬と、抗不安剤を毎食後飲むように処方されていました。残念ながら、薬の名前は憶えていません、

ただ、やたらに眠気の強い薬があり(おそらく、抗不安剤)、工場の人を通じ、父や母から、自分はしょっちゅう居眠りをしている、と叱られました。これも今にして考えれば、両親ともうつ病治療への理解がなかったわけで、抗うつ薬や抗不安剤の多くには、精神を安定させるため、眠気を誘発する効果があります。

うつ病急性期のまま、約半年抗うつ薬と抗不安剤を服用しながら、毎日父の職場へ通っていましたが、半年を過ぎた頃、大きな転機が訪れました。

うつ病の治療 抗うつ薬・抗不安剤とその薬効 抗不安剤とは

 抗うつ薬と共に、心療内科や精神科で多く出される薬が抗不安剤です。抗不安薬、精神安定剤という言葉も用いられ、むしろその方が馴染みが深いかもしれません。 抗不安剤は、不安・緊張・恐怖・焦燥などを抑えるため、内科や外科などでも処方されていますが、精神科・心療内科では、セロトニン系抗う...