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2020年12月15日火曜日

うつ病の治療 抗うつ薬・抗不安剤とその薬効 抗不安剤とは

 抗うつ薬と共に、心療内科や精神科で多く出される薬が抗不安剤です。抗不安薬、精神安定剤という言葉も用いられ、むしろその方が馴染みが深いかもしれません。

抗不安剤は、不安・緊張・恐怖・焦燥などを抑えるため、内科や外科などでも処方されていますが、精神科・心療内科では、セロトニン系抗うつ薬の効果が現れるまでの症状軽減のために処方されることが多いそうです。

従って、抗うつ薬の薬効が現れ始めると、心療内科や精神科の担当医から、抗不安剤の減薬を勧められるようになります。

抗不安剤の用法について、服用時間等は特に定められてはいません。医師の判断で処方されているように思います。従って、毎食後(1日3回)という指定をされることもあれば、精神的に不安定になった時に服用する頓服薬として処方されている場合もあります。

抗不安剤の代表的なものとして、「ベンゾジアゼピン系抗不安剤」があります。これらの抗不安剤は脳内の活動を抑え、それが心の不安、緊張を和らげることにつながります。

ベンゾジアゼピン系抗不安剤は、服用した薬の濃度が体内で薄まったことを示す「半減期」により、短時間型、中間型、長時間型、超長時間型に分けられます。半減期が短ければ短いほど、素早く血中濃度がピークに達し、その後、すみやかに血中から除去される薬といえます。

ベンゾジアゼピン系抗不安剤は脳内の活動を抑制する薬効のある薬なので、昼間の強い眠気など、人によっては強い副作用が現れることがあります。のちに詳しく触れますが、私も抗不安剤の薬効のおかげ(?)で、気が付くと職場で居眠りしていたということが多々あります。

ベンゾジアゼピン系抗不安剤で特に注意したいのは、依存性です。ベンゾジアゼピン系抗不安剤を数週間以上毎日服用していると、薬に対し、体が依存するようになってしまいます。これらの抗不安剤の服薬を中止することで退薬症状が現れることがあります。物事を考えられなくなってしまうほどイライラしてしまったり、強い耳鳴りを感じたり、ひどい場合にはてんかん発作が起きることもあるそうです。

また、抗不安剤は長期間服薬し続けると、薬効が現れなくなることがあります。

これらのことから、抗不安剤の服用はできるだけ短期間にし、抗うつ薬が薬効を現し始めたら少しずつ減薬していくことが必要です。

2020年11月30日月曜日

うつ病で処方される薬 2 抗不安剤

抗不安剤はその名の示す通り、不安や緊張を和らげる薬です。日常生活に多大な支障が出るほど、不安や緊張が強い不安障害の場合に処方されます。

うつ病で抗不安剤が処方されるのは、うつ病の症状に言いようのない不安が現れることが多いからで、抗うつ薬を補う形で処方されることが多いように思います。

ベンゾジアゼピン系抗不安剤は脳内の活動をスローダウンさせる薬なので、昼間の強い眠気など、人によっては強い副作用が出現することがあります。実際に、抗不安剤を睡眠導入剤替わりに処方されることもあるように思います。

抗不安剤でよく話題に上るのは、依存性です。抗不安剤への依存の程度は、薬の種類、用量、期間などによりますが、数週間以上、毎日服用していると、薬に対する身体依存が形成されるようです。

私も妻もデパスを抗不安剤として処方されていたのですが、デパスの効き目が切れた瞬間というのは、突然耳鳴りがするようになったりで、かなりわかりやすいものです。

また、抗不安剤は、長期間服用を続けていると、作用しなくなることもあり、私は突然デパスが効かなくなり、別の抗不安剤レキソタンを今は服用しています。

主な抗不安剤は以下のとおりです。

短時間型(半減期が3~6時間程度)
クロチアゼパム(リーゼ)
エチゾラム(デパス)
フルタゾラム(コレミナール)

中間型(半減期が12~20時間程度)
ロラゼパム(ワイパックス)
アルプラゾラム(コンスタン、ソラナックス)
プロマゼパム(レキソタン、セニラン)

長時間型(半減期が20~100時間程度)
ジアゼパム(セルシン、ホリゾン)
クロキサゾラム(セパゾン)
フルジアゼパム(エリスパン)
クロルジアゼポキシド(コントール、バランス)
オキサゾラム(セレナール)
メダゼパム(レスミット)
メキサゾラム(メレックス)
クロラゼプ酸二カリウム(メンドン)

超長時間型(半減期が100時間以上)
ロフラゼブ酸エチル(メイラックス)
フルトプラゼパム(レスタス)
プラゼパム(セダプラン)

その依存性の性質から、抗不安剤の服用は極力短期間にとどめるのが望ましいとされています。

2020年11月12日木曜日

うつ病の発症4回目 3:うつ病の兆候

 うつ病の兆候は、思考がネガティブになったところから現れました。アベノマスク、全国民への一律10万円の給付等、場当たり的な政府のCOVID-19対応には頭に来るものがあり、始終怒りを感じていました。

それが、7月に入る頃から、段々諦めと厭世観が出てきて、変わらないCOVID-19への政府、行政へのつたない対応に嫌気がさし、ニュースを見たり、新聞を読むのが嫌になってきました。

決定的に一段エレベーターが落ちたな、と感じたのは、期待していた夏のCOVID-19の鎮静化がなくなったことによる、業務での年度内の海外出張がなくなったことでした。

私は25歳頃から、海外暮らしを合計6年、海外出張を年間50-70日のペースで過ごす生活を続けてきており、国内でたまったストレスを海外で発散することで、心のバランスを保ってきていました。

「今年の海外出張はなくなったよ」。同僚の言葉は、私のうつ病の発症の大きな一つの要因になりました。

こうして、8月15日頃からうつ病の急性期に入り、有給休暇を使って、週に2日程度休むことが増え、ついに8月25日から、人生初のうつ病による休職に突入してしまいました😥😥。

2020年11月11日水曜日

うつ病の発症4回目 2

 4回目のうつ病の発症は突然訪れました。

3回目のうつ病発症時と同様、うつ病の兆候を感じたため、二日に1錠服薬していた抗うつ薬のサインバルタを毎日服薬し、デパスも同様に毎日服薬に変更し、担当医に連絡して心療内科の診察を10日間早めました。

担当医には、不安な感覚があること、そわそわと落ち着かないこと等を伝え、うつの兆候が出ていることから抗うつ薬、抗不安剤の増量を頼みました。医師の対応は素早く、抗うつ薬のサインバルタを2錠、抗不安剤のデパスを2錠、またユーロジンを1錠処方してくれました。

でも、時すでに遅しでした。ここからうつ病の急性期が始まり、8月中旬には職場から帰宅した後は全く身動きが取れなくなるほど落ち込みました。うつ病の急性期を言葉で表現するのは難しいですし、人それぞれ異なった印象を持つようですが、台風の大雨の中にさらされているようだという人もいますし、私はいつも壊れたエレベーターに乗っているような急速に落ちていく感覚があります。

うつ病再発の原因は何だったのでしょう?

今でも自分で特定の要因を探すことはできません。うつ病にはストレスが起因していることが大きいと言われますが、当時、ストレサーとなっていたものとしては、

1) COVID-19の中での通勤:非常事態宣言下でも週3回は通勤していました。
2) 妻の入院:COVID-19の影響もあり、面会はかなわず、週2回、必要なものを持って行き、持って帰るだけの日々が2か月続きました。
3) 職場の業務内容の大幅な変更:出張がなくなり、ただパソコンの前に座り、いつ再開できるかわからない研修プログラムについて、各国の関係者、講師とメールやZoomでやり取りする毎日でした。
4) 7月の記録的な日照不足と、8月の猛暑:特に、梅雨明け後のマスク着用での出勤は苦痛以外の何物でもありませんでした。



2020年11月9日月曜日

うつ病の発症3回目 2 :うつ病への対応

上司及び職場環境がうつ病の原因とはっきりしていただけに、これまで経験した4回のうつ病の中では、比較的対応しやすかったように記憶しています。

まずは、通っていた心療内科での処方箋を守ることで、最大サインバルタ2錠、デパス3錠、ユーロジン1錠を服用していました。このあたりは、2回目のうつ病発症時と同じです。原因が原因だけに、その環境にいる限りは治らないわけで、うつ病の原因となっている環境から如何に早く離れるか、うつ病の原因となっている相手と如何に対立しないかに注意を払い、抗うつ薬、抗不安剤を飲みながら、ただ体力の回復を待ちました。

一定の体力が回復したところで、空いている時間を有効に活用し、求職活動を行いました。幸い、週4日の契約でしたし、うつ病の治療での通院という口実があり、有給休暇も活用して、9月から3か月にわたって求職活動を行った結果、12月までに次の就職先を無事に見つけることができ、年内で退社というかなり理想的な形で物事が進みました。

ということで、年内にはうつ抜けし、年末年始には海外旅行もしていたのだから、気楽なものです。

うつ病そのものの治療は今回も薬物療法によるものだけで、他に特筆すべきような治療は行わずに寛解の一歩手前まで行き、2020年4月には、抗うつ薬のサインバルタを二日に一錠、デパスを一日一錠にまで減らすことができました。

症状は完全にうつ病ではありましたが、適応障害が引き起こしたものであり、原因が取り払われてしまえば、その後の回復は速かったと言えます。

2020年11月8日日曜日

うつ病 の発症3回目 1

 2018年に薬が完全に抜けてから、うつ病とは無縁の生活を一年以上送っていました。

ただ、自分にとってうつ病発症の原因を作った上司に対する印象は悪くなり、上司との折り合いが悪くなったこともあって、2018年いっぱいで12年近く務めた職場を退職することになりました。

2019年から務めた職場は前職より給与も良く、新しい領域の仕事でもあり、張り切っていたのですが、新しく作られた職場なのに、職場を作り上げた人たちが古い体質の人たちであり、さらに霞ヶ関の意向を強く受ける職場ということもあって、朝令暮改は日常茶飯事、議題を決めずに行う2時間、3時間のミーティング、失敗は部下になすりつけ、おまけに懲罰規程まで作る始末。昼食は一時間きっちりで帰ってこないと「アイツは昼サボっている」と言われるような環境で、次第に職場の居心地が悪くなっていきました。

前の職場で抱えていた仕事があったため、その仕事を処理するため、週4日新しい職場に勤務することを総務部長と合意していたのですが、上司の事業部長は勝手にフルタイムで来るものと誤解していたらしく、それが気に入らないのか、「フルタイムで来ない人には、仕事を任せられない」とパワハラめいたことをやりだすようになりました。

6月下旬には職場に行くのが嫌になり、上司への嫌悪感を感じるようになったので、通っていた心療内科に抗うつ薬を再度出してもらうようにお願いし、サインバルタ1錠、デパス1錠、ユーロジン1錠をだしてもらったのですが、時すでに遅く、7月に入った頃には3回目のうつ病にかかっていました。

前2回よりもうつ病の原因がはっきりしており、職場環境の悪さであり、そのため、金曜日になると気分が明るくなる一方、日曜日にはずんと気が沈むような日が続きました。

2020年11月6日金曜日

うつ病の発症2回目 3 心療内科による治療 2

 私のうつ病の薬物療法は、2週間に心療内科に行き、10分程度の医師の診察を受け、処方箋でサインバルタ、デパス、ユーロジンをもらって帰る日々でした。

通常、うつ病の急性期は気持ちがぐらぐらと揺れたり、意味もなく泣いたり、逆にそわそわ、いらいらしたり、不眠症になったりし、そのうち死体のように体を動かせなくなるものですが、うつ病の回復期はこれらの症状が治まる代わりに、ただフラットに憂鬱な日々が続きます。

うつ病の急性期はもちろん辛いのですが、私にとっては、毎回、このうつ病の回復期の方が辛く感じます。言葉では回復期と言いますが、本当にゆっくりと回復していくため、自分では回復している実感はありません。

うつ病患者の場合、通常朝が一番つらく、副交感神経に切り替わる夜は体調も気分も良いものです。「明日もこの気分が持続して欲しい!」と毎日願うのですが、現実は残酷で、朝はただ辛い気持ちで目が覚めます。

7月下旬に入った頃、心療内科の主治医の先生から、「これだけ変わらないと、後は何をすればよいだろうねぇ」というようなことを言われ、絶望的な気持ちになったのを覚えています。

うつ病の治療は、ただ毎日薬を飲むだけで、気長にやるしかないんですが、短気な私にはかなり苦しいものでした。

2020年11月5日木曜日

うつ病の発症2回目 2 心療内科による薬物療法 2

 うつ病治療の主流は薬物療法です。

心療内科、精神科、ひょっとすると内科へ通っていらっしゃる方もいるかもしれませんね。

私はこれまでずっと心療内科に通ってきました。うつ病には、急性期、回復期、そして改善へと向かっていきます。

うつ病は風邪などのように、薬を飲んで2、3日で回復する病気ではありません。残念ながら、どれだけ短くても2-3か月、長い方の場合、年単位でうつ病と闘病されています。

私の2回目のうつ病は5月から投薬が始まりました。最初に投薬してもらったのは、抗うつ剤のサインバルタ1錠、抗不安剤のデパス1日3錠、睡眠導入剤のユーロジン1錠だったと記憶しています。

うつ病に効果を示すのは抗うつ薬ですが、いきなり抗うつ薬を2錠も3錠も投薬することはないそうです。患者のうつ病に果たして抗うつ薬が合っているのかどうかを1週間単位で様子を見ながら、症状の重さに合わせ、投薬量を増やしていくということをしていきます。

私の場合、最大サインバルタ2錠、デパス3錠、ユーロジン1錠が2回目のうつ病時の投薬量でした。この治療が7月まで続くことになります。

先にも触れましたが、残念ながら、抗うつ薬が効果を発揮するのは、一週間、二週間経ってからです。従って、すでにうつ病が急性期に入っている場合はその間ずっとうつ病の諸症状に苦しめられることになります。

この時、私は休職せず、うつ病であることを職場に明らかにせずに通い続けましたので、毎朝が地獄のようでした。

2020年11月3日火曜日

うつ病1回目の発症3 急性期から一気に回復期へ

 納得しないまま、親の会社で働いていたところ、以前にお世話になった方から、自分の海外での経験が活かせるポジションが空くのだが、興味がないか?と打診を戴きました。

自分には、願ってもない職種、ポジションであり、二つ返事で引き受けることを回答しました。自分のうつ病が一気に快方に向かったのはこの出来事があったからで、人生後ろ向きにしか考えられていなかったのが、その仕事につくための心構えをほんの数週間で整えてしまいました。

うつ病で判断できない中でのことであったとは言え、父や、父の会社には本当に不義理をしてしまいましたし、海外から日本へ帰ってきて、また1年も経たぬうちに引っ越すことで、妻にもかなり叱られました。

しかし、周り中に不義理を尽くしたこの転職が、結局うつ病の寛解につながりました。本当に不思議なもので、転職してからは、全くうつ病の症状は出ず、引っ越し先では心療内科にも精神科にも通うこともやめてしまいました。

なお、本来は抗うつ薬や抗不安剤を少しずつ抜いていく過程が必要であり、私がこの時にやったように、一気にうつ病の薬物療法をやめてしまうのは危険なことなのだそうです。

こうして、晴れて初回のうつ病は寛解したのですが、うつ病発症のきっかけは海外生活での過酷な就職活動と短期間での引っ越しの繰り返しであり、うつ病寛解のきっかけはやりがいのある仕事につけたことだったと考えています。

2020年11月2日月曜日

うつ病の発症1回目 2

 うつ病を発症したまま帰国してからの日々は、自分には地獄のようでした。

実家の近所の心療内科に通いつつ、親の言われるまま、親の経営する会社に毎日通いました。

母親からすれば、「良かれ」と思ってやってくれたことなのでしょうが、「うつ病の時に大きな決断をしてはいけない」という原則からすると、うつ病急性期で判断能力のなかった自分を親の会社に放り込んだのは、跡取りとして期待していた父にとっても、本音では全く親の会社を継ぐ気がなかった自分にとっても、不幸なことでした。

当時は、うつ病の症状のため、毎朝ただ気が重い、肩や腰が凝ってだるい、人生が終わったような気持ちで、父の会社の工場で事務仕事をやりつつも、むりやり笑顔を作り、定時になったら帰宅するの繰り返しでした。

うつ病にかかったことのある人なら一度は訪れたことがあるのは、心療内科か精神科ではないでしょうか。私は当時心療内科に通っていましたが、抗うつ薬と、抗不安剤を毎食後飲むように処方されていました。残念ながら、薬の名前は憶えていません、

ただ、やたらに眠気の強い薬があり(おそらく、抗不安剤)、工場の人を通じ、父や母から、自分はしょっちゅう居眠りをしている、と叱られました。これも今にして考えれば、両親ともうつ病治療への理解がなかったわけで、抗うつ薬や抗不安剤の多くには、精神を安定させるため、眠気を誘発する効果があります。

うつ病急性期のまま、約半年抗うつ薬と抗不安剤を服用しながら、毎日父の職場へ通っていましたが、半年を過ぎた頃、大きな転機が訪れました。

うつ病の治療 抗うつ薬・抗不安剤とその薬効 抗不安剤とは

 抗うつ薬と共に、心療内科や精神科で多く出される薬が抗不安剤です。抗不安薬、精神安定剤という言葉も用いられ、むしろその方が馴染みが深いかもしれません。 抗不安剤は、不安・緊張・恐怖・焦燥などを抑えるため、内科や外科などでも処方されていますが、精神科・心療内科では、セロトニン系抗う...