うつ病を発症したまま帰国してからの日々は、自分には地獄のようでした。
実家の近所の心療内科に通いつつ、親の言われるまま、親の経営する会社に毎日通いました。
母親からすれば、「良かれ」と思ってやってくれたことなのでしょうが、「うつ病の時に大きな決断をしてはいけない」という原則からすると、うつ病急性期で判断能力のなかった自分を親の会社に放り込んだのは、跡取りとして期待していた父にとっても、本音では全く親の会社を継ぐ気がなかった自分にとっても、不幸なことでした。
当時は、うつ病の症状のため、毎朝ただ気が重い、肩や腰が凝ってだるい、人生が終わったような気持ちで、父の会社の工場で事務仕事をやりつつも、むりやり笑顔を作り、定時になったら帰宅するの繰り返しでした。
うつ病にかかったことのある人なら一度は訪れたことがあるのは、心療内科か精神科ではないでしょうか。私は当時心療内科に通っていましたが、抗うつ薬と、抗不安剤を毎食後飲むように処方されていました。残念ながら、薬の名前は憶えていません、
ただ、やたらに眠気の強い薬があり(おそらく、抗不安剤)、工場の人を通じ、父や母から、自分はしょっちゅう居眠りをしている、と叱られました。これも今にして考えれば、両親ともうつ病治療への理解がなかったわけで、抗うつ薬や抗不安剤の多くには、精神を安定させるため、眠気を誘発する効果があります。
うつ病急性期のまま、約半年抗うつ薬と抗不安剤を服用しながら、毎日父の職場へ通っていましたが、半年を過ぎた頃、大きな転機が訪れました。
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